12月17日いつものアジアナでクリスマスランチライブを行いました。
5人のスターが登場、日ごろの歌の成果を発表。
ステキなドレスに身を包んで、3分間の主役を演じ、気分は上々。
最後には、サンタクロース、サンタ嬢が勢ぞろいして
クリスマスソングメドレーを歌いました。
2014年12月18日木曜日
2014年11月30日日曜日
フラダンス発表会
ウルフギャング・ディナーショー
11月25日名古屋栄、芸術劇場のビル10階にある、ウルフギャングさんで、ディナーショーに出演しました。当日は朝から雨、お足元の悪い中、お出かけ下さった皆様ありがとうございました。
今回はゆったりとお席に座っていただき、優雅なひと時をお過ごしいただいたと思います。
フリードリンクで、皆様少しお酒も進んで、ほろ酔いの打ち解けたコンサートでした。
歌っている私たちもとても良い気分で・・・
演奏は悠情(ヴァイオリン)、山下力哉(ピアノ)
来て頂いたお客様とも新しい出会いが深まり、新しいお話もいただきました。
これから、もっと発展してゆきそうで楽しみです。
今回はゆったりとお席に座っていただき、優雅なひと時をお過ごしいただいたと思います。
フリードリンクで、皆様少しお酒も進んで、ほろ酔いの打ち解けたコンサートでした。
歌っている私たちもとても良い気分で・・・
演奏は悠情(ヴァイオリン)、山下力哉(ピアノ)
来て頂いたお客様とも新しい出会いが深まり、新しいお話もいただきました。
これから、もっと発展してゆきそうで楽しみです。
2014年10月27日月曜日
傘寿・相合傘ライブ
2014年10月26日日曜日
2014年5月1日木曜日
美ら海 慶良間諸島 座間味島滞在
4月22日から26日まで5日間、沖縄旅行をして来ました。
今年3月に国立公園になった「慶良間諸島」
那覇から高速船に乗って50分で「座間味村」に到着。
どちらかと言うと、海より山の方が好きな私ですが、その美しい海に圧倒されてしまいました。
珊瑚礁が海面から見える透き通った海水、ところどころコバルトブルーだったり、薄い水色だったり、濃い水色だったり穏やかな海水のたゆたいが心和ませてくれます。
海によくある「磯臭さ」が全然ない。砂浜は真っ白でゴミもなく、とってもきれい。
でも、先に行っていた娘の話では、ペットボトルの山があって、こんなに捨ててあるのかしらと思ったら、ラベルを見ると中国語。中国や韓国の海岸から流れ着いてくるんですって・・・
諸島という名のとおり、そこここに島がたくさん見渡せます。
無人島だそうです。島の周りに白い砂浜が広がっています。


初めてのカヤック体験
私はインストラクターさんと孫の春花と一緒に乗りました。
パドルの使い方も事前にレクチャー受けてがんばって漕ぎました。無人島まで40分くらいかな・・
展望台で知り合った旅行者。ドイツの方たちと聞いて親密度が増します。彼らはこのヨットでもう2年間も廻っているんですって。だからこんなにひげも伸びたんだよ~~~
ゴールデンウィーク前で島は観光客も多くはいませんでした。外国人の旅行者の方が多いみたい。
滞在2日目からお天気が悪くなって、風も強くなり、カヤックができたのは1日だけでした。ちょっと残念でしたが、涼しい風が吹いて、気温は低め。快適な気温です。
ここは、素敵な海とやさしくて人情深い人たちが住む島。
大手の開発リゾートや大きなホテルも全然なくて、自然がそのまま息づいている島。
心が洗われるところです。
あの太平洋戦争でアメリカ兵が一番最初に上陸したのが、この座間味島なんだよ。島は1日で占領されちゃった。島の洞窟には無数の鉄砲のあとがあるんだ・・・浜で知り合った島の人が独り言のように、とつとつと話してくれました。私はそのことは経験してないけどね・・
今年3月に国立公園になった「慶良間諸島」
那覇から高速船に乗って50分で「座間味村」に到着。
どちらかと言うと、海より山の方が好きな私ですが、その美しい海に圧倒されてしまいました。
珊瑚礁が海面から見える透き通った海水、ところどころコバルトブルーだったり、薄い水色だったり、濃い水色だったり穏やかな海水のたゆたいが心和ませてくれます。
海によくある「磯臭さ」が全然ない。砂浜は真っ白でゴミもなく、とってもきれい。
でも、先に行っていた娘の話では、ペットボトルの山があって、こんなに捨ててあるのかしらと思ったら、ラベルを見ると中国語。中国や韓国の海岸から流れ着いてくるんですって・・・
諸島という名のとおり、そこここに島がたくさん見渡せます。
無人島だそうです。島の周りに白い砂浜が広がっています。


私はインストラクターさんと孫の春花と一緒に乗りました。

小さなハート♡マークを春花が二人の名前の真ん中に置いてくれました。
ラブラブ?
展望台で知り合った旅行者。ドイツの方たちと聞いて親密度が増します。彼らはこのヨットでもう2年間も廻っているんですって。だからこんなにひげも伸びたんだよ~~~
ゴールデンウィーク前で島は観光客も多くはいませんでした。外国人の旅行者の方が多いみたい。
滞在2日目からお天気が悪くなって、風も強くなり、カヤックができたのは1日だけでした。ちょっと残念でしたが、涼しい風が吹いて、気温は低め。快適な気温です。
ここは、素敵な海とやさしくて人情深い人たちが住む島。
大手の開発リゾートや大きなホテルも全然なくて、自然がそのまま息づいている島。
心が洗われるところです。
あの太平洋戦争でアメリカ兵が一番最初に上陸したのが、この座間味島なんだよ。島は1日で占領されちゃった。島の洞窟には無数の鉄砲のあとがあるんだ・・・浜で知り合った島の人が独り言のように、とつとつと話してくれました。私はそのことは経験してないけどね・・
2014年4月7日月曜日
らくだう 東北支援チャリティコンサート
4月7日、昨日までの肌寒さから一転して、暖かな太陽が降り注ぐよき日となりました。
瀬戸、高根町にある、知る人ぞ知るカフェ「らくだう」さんのご厚意により、錦城まりこさんの東北支援100回コンサートの1回を開かせていただきました。
50人ほどのお客様をお迎えし、錦城まりこさんのピアノ演奏、「風と星のたんざく」から始まって、「青葉城恋唄」「花」に続いて、私の「すみれの花咲く頃」「さくらんぼの実る頃」と春のイメージ満載の曲が続きます。
今回は第72回目のコンサートです。
「らくだう」さんは、木曜日、金曜日、土曜日の週に3回だけ開いているカフェです。
お店の中は、ギャラリーになっていて、今日は長久手市の絵手紙クラブの方たちの作品がずらっと飾られていました。
いつも私のコンサートに来て下さるお馴染みさんに加えて、今日初めて私の歌、錦城さんのピアノを聴いてくださった方も大勢いらっしゃいました。新たな出会いに感謝しつつ、このご縁がまた続いていくことを願って、心を籠めて歌わせていただきました。
コンサートの後、三陸のワカメの販売もいたしました。
御協力いただいた皆様、ありがとうございました。
瀬戸、高根町にある、知る人ぞ知るカフェ「らくだう」さんのご厚意により、錦城まりこさんの東北支援100回コンサートの1回を開かせていただきました。
50人ほどのお客様をお迎えし、錦城まりこさんのピアノ演奏、「風と星のたんざく」から始まって、「青葉城恋唄」「花」に続いて、私の「すみれの花咲く頃」「さくらんぼの実る頃」と春のイメージ満載の曲が続きます。
今回は第72回目のコンサートです。
「らくだう」さんは、木曜日、金曜日、土曜日の週に3回だけ開いているカフェです。
お店の中は、ギャラリーになっていて、今日は長久手市の絵手紙クラブの方たちの作品がずらっと飾られていました。
いつも私のコンサートに来て下さるお馴染みさんに加えて、今日初めて私の歌、錦城さんのピアノを聴いてくださった方も大勢いらっしゃいました。新たな出会いに感謝しつつ、このご縁がまた続いていくことを願って、心を籠めて歌わせていただきました。
コンサートの後、三陸のワカメの販売もいたしました。
御協力いただいた皆様、ありがとうございました。
ピアニスト 錦城まりこさん 100回コンサート継続中です |
このワカメ販売は先日の犬山ホテルでの様子です。この日もたくさん買っていただきました |
2014年3月28日金曜日
「絆」でつなぐ三陸路
3月25日から3日間、陸前高田、浄土が浜、三陸鉄道、北山崎、久慈へ行ってきました。
3年前の震災以来、気になっていたのですが、なかなか機会に恵まれずにいましたが、
東北を忘れない、現地に行くことが、支援に繋がる・・・と思い、日程の調整もできたので、
思い切って行ってきました。
現地では、ボランティア語りべの話を聴いたり、土台だけ残って、何もない土地を見たり、
復興のクレーン車やトラックが広い土地のあちこちに動き回っているところを見て来ました。
さすがに、がれきは取り除かれ、更地になっていますが、道路の両脇には、そこに立っていたであろう電柱の残りや、駅前広場の前の台座だけが寂しく残っています。
マンションの3階までがくりぬかれたように、窓枠が叩き壊されているもの、4階立てのビルの屋上の上にある搭のところに、ここまで津波が来ました。と記されている建物。山を削って、埋め立てるためのベルトコンベヤーが設置され、トラックで運べば15年かかる・・・ところを 数億円かけてベルトコンベヤーをつくり、これで2年で山を削って、土地が完成するとか・・・
確かに復興するための槌音はそこここにしているのですが、この先あまりに時間がかかるのではないかしら・・と、胸塞がる思いでした。
でも、津波の被害・・空恐ろしいほどの力で迫ってくるものですが、それにも増して恐ろしいのは、放射能におびえて、逃げ惑う生活を余儀なくされている、原発被害者の皆さんではないでしょうか。
天災は致し方ない面もありますが、人災だけはもう2度と起こしてはならないですよね。
天災国日本には、絶対原発はいらない。強く感じて帰ってきました。
動き出した、ベルトコンベヤー
山を切り崩して、土を運ぶもの

このビルの搭の上にここまで津波が来ました」との表示が掲げられていました。
2泊目に泊まった田野畑村の「ホテル羅賀荘」
早くに復興して地域の人たちの働く場所を確保した。この3階部分を津波は乗り越えて行った。
3年前の震災以来、気になっていたのですが、なかなか機会に恵まれずにいましたが、
東北を忘れない、現地に行くことが、支援に繋がる・・・と思い、日程の調整もできたので、
思い切って行ってきました。
現地では、ボランティア語りべの話を聴いたり、土台だけ残って、何もない土地を見たり、
復興のクレーン車やトラックが広い土地のあちこちに動き回っているところを見て来ました。
さすがに、がれきは取り除かれ、更地になっていますが、道路の両脇には、そこに立っていたであろう電柱の残りや、駅前広場の前の台座だけが寂しく残っています。
マンションの3階までがくりぬかれたように、窓枠が叩き壊されているもの、4階立てのビルの屋上の上にある搭のところに、ここまで津波が来ました。と記されている建物。山を削って、埋め立てるためのベルトコンベヤーが設置され、トラックで運べば15年かかる・・・ところを 数億円かけてベルトコンベヤーをつくり、これで2年で山を削って、土地が完成するとか・・・
確かに復興するための槌音はそこここにしているのですが、この先あまりに時間がかかるのではないかしら・・と、胸塞がる思いでした。
でも、津波の被害・・空恐ろしいほどの力で迫ってくるものですが、それにも増して恐ろしいのは、放射能におびえて、逃げ惑う生活を余儀なくされている、原発被害者の皆さんではないでしょうか。
天災は致し方ない面もありますが、人災だけはもう2度と起こしてはならないですよね。
天災国日本には、絶対原発はいらない。強く感じて帰ってきました。
バラックづくりの土産物屋、少しの買い物だったのにいつまでも手を振って見送ってくださいました。 |
動き出した、ベルトコンベヤー
山を切り崩して、土を運ぶもの
このビルの搭の上にここまで津波が来ました」との表示が掲げられていました。
2泊目に泊まった田野畑村の「ホテル羅賀荘」
早くに復興して地域の人たちの働く場所を確保した。この3階部分を津波は乗り越えて行った。
浄土ヶ浜で1隻だけ残った遊覧船で宮古湾遊覧
田野畑村で震災語りべボランティアの話を聞く
2014年3月21日金曜日
アジアナコンサート La Primavera
登録:
投稿 (Atom)